印刷をしている時。

 

だいだい自分のものではなくて、印刷をご依頼いただいて作っている時。

相手の為に美しく仕上げることを念頭に黙々と刷り上げながら、たまにふと分からなくなるときがある。

 

その時は「にじみ」「かすれ」「つぶれ」「ゆがみ」の存在が急に強く見えてきて「これは汚いものかもしれない」「これは失敗だ」とここまで刷り上げてきたものを見て愕然としてしまう。これだったらオフセット印刷で仕上げた方が綺麗になったはずだ、もっと技術のある印刷屋さんにお願いした方がよかっただろうに。なんてどんどん思考が重く暗くなりながら自分の感覚さえも信用できずにどうしていいかあたふたする時がある。でも、これは機械がじゃなくて、私が調子が悪い時。(←単純に機械の調整が出来ていないでって時もありますわ♡)

 

オフセット印刷が現在のように主流になるもっと前から活版印刷は活躍していて、当時の職人さんはいかに「にじみ」「かすれ」「つぶれ」「ゆがみ」のない“美しい”印刷ができるかに命をかけていたそう。印刷面の僅かな凹凸さえもNGだったとさえ聞く。

 

日本で、日本語を使用して日本の機械で印刷をしている以上、この歴史は亡霊のごとく私の背後にいて(くださって)、迷い始めた私を容赦なく攻撃して(くださいます)(くる)。

 

Mrs.Roniはそういう迷った時に魔法使いのように脳内(頭の中)(記憶を思い出す)に現れる。(←実際、ご本人も魔法使いのように可愛い)NYでポスターを刷っていた時、作業を見本として見せてくださって、彼女は紙を何枚も重ねてかなりの圧をかけて印刷をした。くるりと刷り上がった印刷面を見て「BEAUTIFUL!!」(←可愛い)もちろん表面は圧がかかってぼこぼことしている。背景の凹凸が美しいからと、表から文字を重ねるのではなくて、裏に刷って光で凹凸を楽しむのもいいと思うという提案も。

 

調子が悪い時、私はこの気持ちを持てていない。

機械の調整(胴張など)はきっちりとできる技術はもちろん磨かないといけないけれど、この時代に、改めて活版印刷機に縁をしている私には、自分が「BEAUTIFUL!!」ってきゃっきゃしながら刷れてないとやる意味がない。

 

 

 

 

 

先日、刷り上げた名刺は迷った末に「にじみ」「かすれ」「つぶれ」「ゆがみ」のないものをお届けした。

でも、納品後、彼女は「にじみ」「かすれ」ていて(ほしかった)(もよかったのに)と言った。

 

 

迷った自分を後悔しながら、私の知っている歴史の話を少ししたけれど、自分への言い訳にしか感じられなかった。私が日本の活字になかなか触れられないのはここの迷いがあるからかしら。触れる時、その時は少し整理がついている時だと思う。

 

私が楽しんで刷り上げて早く早く本人に見せたくて、お届けした時にとっても喜んでくれた時の気持ち。
それが私の糧となり、自信をもたせてくれている。 そして、これこそこれから一番大切にしないといけないこと。
歴史の重みを感じながら自分のの感覚を信じて足を前に出していきたいと思うのであります。